空の女王B747──30年を共に過ごした元機長が想うこと

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空の女王B747──30年を共に過ごした元機長が想うこと

音声でお聞きになりたい場合は以下からご利用ください。

(ポッドキャスト 対話形式)


空港の展望デッキに立つと、今も変わらずジェット燃料の匂いが鼻をくすぐります。でも、目の前に広がる駐機場の風景は、私がパイロットとしてのキャリアを始めた30年前とは、すっかり様変わりしてしまいました。

かつて、そこには圧倒的な存在感を放つ「主役」がいました。2階席の優美なコブ(アッパーデッキ)、翼の下に吊り下げられた頼もしい4つのエンジン、そして何よりも、見る者を圧倒する巨大な機影。ボーイング747、愛称「ジャンボジェット」。

私は幸運にも、B747クラシック(昔のタイプ)、B747-400(ハイテクジャンボ)、そしてB747-8(最新型)と、このシリーズの進化の全てをコックピットの中で体験することができました。30年以上をこの機体と共に過ごし、世界中の空を飛び回った私が今、退役が進む現状に抱くのは、単なる懐かしさだけではありません。それは、一つの偉大な時代が終わろうとしていることへの深い敬意と、抗えない時代の流れに対する複雑な想いです。

第1章:鉄の塊を操る感覚──クラシック・ジャンボの記憶

私のB747との出会いは、まだコックピットに「航空機関士(フライトエンジニア)」が座っていた時代、いわゆる「クラシック」と呼ばれた-100や-200、-300の時代に遡ります。

当時のコックピットは、今のパイロットが見たら博物館みたいに映るでしょうね。無数に並ぶアナログの計器類、スイッチ、サーキットブレーカー。「時計屋か」と思うほどの丸い計器の数々は、人間が巨大な機械を手なずけるための「戦場」のような雰囲気を醸し出していました。

クラシック・ジャンボの操縦は、まさに「物理的な対話」でした。

4つのスロットルレバー(エンジン出力を操作するレバー)を押し込んだ時の、背中をシートに押し付けられるような重厚な加速感。操縦桿を通じて伝わってくる、400トン近い機体の重み。風に逆らって着陸する際、機首を風上に向け、ラダーペダルを蹴り込む時のあの緊張感と、接地した瞬間に伝わる独特の振動。

それは、コンピュータというフィルターを通さない、鉄の塊と人間が直接繋がっている感覚でした。

第2章:伝説の啓徳(カイタック)──「一発勝負」の香港カーブ

B747の「重さ」と向き合った日々の中で、最も鮮烈な記憶として残っているのが、かつての香港・啓徳(カイタック)空港での着陸です。

悪名高い「IGSアプローチ」。九龍の街並みに飛び込むように降下し、目の前に迫るチェッカーボード(誘導標識)を目印に、低い高度で右へ47度の急旋回を行う。ジャンボの巨大な翼が、雑居ビルの洗濯物に届きそうなほどの距離でバンクするんです。

この時、パイロットにのしかかるプレッシャーは凄まじいものでした。

400トン近い質量を持つB747は、一度動き出したら簡単には止まらないし、曲がらない。その巨大な運動エネルギーの塊を、旋回終了と同時に滑走路の中心線へピタリと正対させなければならない。

それは、文字通りの「一発勝負」でした。

もし、旋回終了のタイミングが少しでも遅れたり、バンク角の読みが甘かったりして、中心線から左右にずれてしまったら、もう修正は不可能です。小型機のようにサッと操縦桿を動かして微調整しようとしても、B747の巨大な慣性がそれを許さない。低い高度で無理な修正をすれば、機体は不安定になり、着陸そのものが危険にさらされます。

「ずれた」と気づいた瞬間に、私たちに残された選択肢はただ一つ、ゴーアラウンド(着陸やり直し)。あの轟音と共にエンジン出力を上げて、もう一度やり直すしかありませんでした。

あのヒリつくような緊張感の中で、巨大な機体を思い通りに操り、滑走路にソフトランディングさせた時の達成感。それは、パイロットとしての技量が試される極致であり、B747という相棒との信頼関係があって初めて成し遂げられるものでした。

第3章:ハイテク化の衝撃──B747-400の登場

時代は流れ、B747-400、いわゆる「ダッシュ400」が登場した時、私たちは航空史の転換点を目の当たりにしました。

コックピットに入った瞬間の衝撃は今でも忘れられません。アナログ計器の森は消え去り、整然と並ぶ6面のCRTディスプレイ(グラスコックピット)が青白く光っていました。航空機関士席はなくなり、機長と副操縦士の2名体制になっていたんです。

「ハイテクジャンボ」と呼ばれたこの機体は、パイロットの役割を変えました。私たちは単なる操縦者から、高度なシステムを管理する能力も求められるようになったんですね。

それでも、-400にはまだ「ジャンボらしさ」が色濃く残っていました。自動化が進んだとはいえ、最終的な判断と操作のフィーリングは、あの愛すべきB747そのもの。日本の高度経済成長期からバブル崩壊後の世界まで、-400はまさに「日本の翼」として、そして「世界の架け橋」として君臨しました。

第4章:最後の進化──B747-8と叶わぬ夢

そして、私のキャリアの後半で出会ったのが、B747-8です。

ジャンボの最終進化形。主翼はさらに洗練され、エンジンはB787の技術を応用したGEnxを搭載し、静かさ、燃費、環境性能、そのすべてにおいて過去のB747を上回っていました。

コックピットのレイアウトは-400とそれほど変わらないものの、操縦していても、その滑らかさとパワーの余裕には感嘆させられました。まさに「完成された空の女王」でした。

でも、皮肉なことに、この「最高のB747」が世に出た時には、すでに空の主役は交代しつつあったんです。-8の旅客型を採用した航空会社は極めて少なかった。私たちは、この素晴らしい機体が活躍する舞台がすでに狭まっていることを、薄々感じながら操縦桿を握っていました。

技術的には最高傑作でありながら、時代には遅れてやってきた名優。その哀愁もまた、私がこの機体に惹かれる理由の一つかもしれません。

第5章:時代の要請──なぜ4発機は消えゆくのか

では、なぜこれほどまでに愛され、完成されたB747が引退を余儀なくされているのでしょうか。そこには、感傷を挟む余地のない、冷徹で合理的な「時代の要請」があります。

1. 経済性と「双発機」の進化

最大の理由は「経済性」です。4つのエンジンを持つということは、整備コストも燃料コストも、2つのエンジンの飛行機(双発機)に比べて単純計算で倍近くかかります。

かつては、太平洋のような長距離洋上飛行には、エンジンが一つ止まっても安全に飛行を続けられる4発機が必須でした。でも、エンジンの信頼性が向上し、ETOPS(イートップス)という規定により、双発機でも長時間の洋上飛行が可能になりました。

B777やA350といった高性能な双発機が、B747の独壇場だった長距離路線を、はるかに少ない燃料で飛べるようになったんです。

2. 環境への配慮とビジネスモデルの変化

CO2排出量の削減は航空業界の最優先課題であり、4発機は環境負荷の観点から避けられるようになりました。

また、かつての「ハブ・アンド・スポーク(大量輸送)」から、「ポイント・トゥ・ポイント(中型機での直行便)」へのシフトも大きいですね。空席を埋めるプレッシャーがかかる巨大なB747は、航空会社にとって使いにくい存在になってしまったんです。

第6章:失われるもの、残るもの

合理的な判断として、B747の退役は「正解」だと思います。私もプロのパイロットとして、安全性と経済性を追求する業界の方向性に異論はありません。新しい機材は静かで、快適で、環境に優しい。

でも、それでも拭いきれない寂しさがあるんです。

それは単に「古い機体がなくなる」という感傷ではありません。「空を飛ぶことのロマン」の形が変わってしまうことへの喪失感です。

B747には「人格」のようなものがありました。

コックピットの位置は地上から約10メートル。タキシング(地上走行)中の「空の王」としての視界。乱気流の中でも、その巨体ゆえにどっしりと構え、乗客を守り抜くような安心感。そして何より、カイタックで見せたような、あの巨大な慣性をねじ伏せ、手足のように操る瞬間の、パイロットとしての震えるような充足感。

最新鋭の双発機は、あまりにも優秀で、あまりにも静かで、まるで精密なコンピュータの中にいるようです。そこには「鉄と油と人間」が織りなすドラマが入り込む隙間が、少しずつ減っているように感じます。

結びに:女王への敬礼

B747の生産は終了し、世界の空から旅客型ジャンボは急速に姿を消しています。今後は貨物機として、その力持ちの余生を過ごす機体も多いでしょう。

でも、航空の歴史において、B747が果たした役割が色褪せることはありません。

かつて高嶺の花だった海外旅行を身近なものにし、世界を小さくし、無数の家族の再会や、ビジネスの成功を支えてきたのは、紛れもなくこの「空の女王」でした。

私は、昔のジャンボのアナログ針の震えを知っています。カイタックの「香港カーブ」で見せた巨体の意地を知っています。-400の洗練と、-8の静けさを知っています。

その全てを経験できたことは、私のパイロット人生における最大の誇りです。

時代は変わります。空の主役は、よりスマートで効率的な機体へと移り変わっていく。それは進化であり、未来への希望です。

でも、ふとした瞬間に空を見上げる時、私の心はいつまでも、あの独特なコブを持つシルエットを探してしまうでしょう。

「ありがとう、お疲れ様」

私は心の中で静かに、去りゆく女王へ敬礼を送り続けます。

 Gooday

-空の知恵(LIFE SOP)